小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

なもしらぬとおきしまより

新しい職場から定時に帰ってくると、途中の乗換駅で夕焼け放送が聞こえてくる。

うちのあたりの夕焼け放送は由緒正しく夕焼け小焼けが流れて

「よい子のみなさん、さあ、おうちに帰りましょう」

なんてアナウンスがあるので、け、おれは悪い子だからうちになんか帰んねーんだよ、ボケが、とか聞くたびに心の中でたてついてみたり。まあ、悪い子以前に、もう子どもじゃないんだからそんなにたてつかなくてもいいとも思う。

件の乗換駅で聞こえてくる夕焼け放送は「椰子の実」。小学校の時に音楽の時間にならって、すごく好きになった曲。ほかに好きだったのは海は広いな大きいな。この曲は戦争前に海軍が戦争プロパガンダのために作ったと知った時にはびっくりした。二番の「海にお船を浮かばせていってみたいなよその国」というのは子どもだったわたしにははるかな憧れだったのに、まさかまさか海外侵略をそそのかす歌だったとは。

とりあえず、海にお船を浮かばせてよその国に行ってみたいという、あまりオリジナリティーのない憧れを抱いていた子どもにとって、椰子の実はその憧れがかなった時のかっこいいさみしさを表現しているようで好きだった。故郷の岸を離れて汝はそも波に幾月。

この傾向は、その後、中島みゆきの「異国」をLPレコード*1が擦り切れるくらいまで聞いちゃったりするあほの子を製造する。LPレコードでその曲だけ聞こうとすると針の落とし方がね〜難しくてね〜…。

そんなことを一人で考えつつ乗換駅の階段をのぼりながら、ふと思う。わたしの故郷はどこだろう。わたしはどこで靴が脱げるのだろう。生まれた町には友人の一人もおらず、育った町と学校のあった町が違うのでそのどちらにも帰省という概念は当てはまらず、そこが自分の故郷になると感じ愛した国からは離れ。

愛するKのいるところが自分にとって帰るところ、とか思ったりもするけれど。

仕事をしている地元密着型の事業所でなんの疑問もなくその町で生まれて育った人たちが働いているのを見ているとなんとなく不思議な気持ちになる。地元という言葉が家族がいて親戚がいて幼馴染がいて同級生がいるという意味だと疑いもしなくてもいい人たち。

そういう人たちを見ていると、百億粒の灰になっても帰り支度をし続けると軋むように歌っていた中島みゆきの声が胸の中に聞こえてくる。いっそ、自分の身を椰子の実のように海に投げ込めば、どこが故郷が見えてくるだろうか。

などと、かっこいい感傷に浸れるのが故郷のない人間の特権だとわたしは思うのですよ。

*1:CDがなかった時代。メタルテープとか懐かしい。