小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

荒波に揉まれ

生半可な人間に対して、

「お前も世間の荒波に揉まれてこい!」

と言うことがある。今までは、そういうことを言っている人がいたら、そうだそうだと、あまり深くも考えずに賛成していた。

しかし。


先日、ボートに乗りに行ったのです。一級小型船舶を取ってから初めて海に出たのです。その上、乗組員全員がいわゆる「生半可」なクルーでした。

マリーナのある湾内はそれなりに荒れていたのですが、波がちょっとあるくらいがおもしろいよねなどと余裕をぶっこいていました。運河はベタ凪の状態でするすると水面を進むのがとても楽しかったです。

いつもは橋の上からしか見ることができない運河を航行して、そこから外を見るのは楽しい。工場を海側から眺めると、今まで見えていなかったものが見えてくるのもおもしろい。運河を抜けて隣の湾に出て、レストランにボートを乗り付けてお昼を食べたりするのも選民意識が刺激されてしまいます。

その後。湾外に出て―といっても、まだ東京湾の中ではあるのですが―見ると。

波が高い高い(それでも1mくらいだけど)。タグボートや遊覧船があっちからもこっちからも出てくる(やつらはみんなわれわれが乗っている船の10倍以上の大きさ)。そして沖にはでっかいタンカーがあっちこっちに停泊中。

「右舷〜プレジャーボート接近中!」
「うわー、回避回避〜右〜みぎ〜」
「左舷〜、タッグボート接近中!」
「あっちが避行船だからまっすぐ行っても・・・」
「だめー、よけてくれない〜」
「ぎゃー」
「波〜波〜荒波〜うぎゃー」
メーデーメーデー・・・」

生半可クルー、荒波にもまれまくり。これでも、まだ東京湾内の荒波。外洋の荒波がどんなものかは考えたくもない。気軽に外洋に世間にボートで出ようと思っていた自分を反省。安全な港に引き返したいけれど、マリーナに帰るにはこの荒波をぶっちぎらなければ帰れない。あの安全で楽しい運河は引き潮で水位が下がってしまっていてもうわたしたちを受け入れてはくれない。港に戻って、マリーナに電話をして迎えに来てもらおうかとか頭の隅で考える始末。

そして、もう他人に世間の荒波に揉まれてこいとは言うことができない、と心から思いました。本当に荒波にもまれる必要なんてないから。あんな恐ろしい思いをする必要なんてないから。

楽しかったけど。

また、車って実はものすごく意思の疎通ができる乗り物なんだとつくづく感じました。船は相手がなにを考えてどこに行こうとしてるのかわからない。中央線も道もないので、右舷側を航行している船が、こちらを行き合い船と認識して避行するつもりなのか、それとも関係のない船と認識してそのまま行くつもりなのかわからない。

しかも、道があるわけじゃないので、ちょっと気を緩めると右からも左からも水上バイクやら遊覧船やらタッグボートやら漁船やらヨットやら…でるわでるわ。遠くに停泊していてもタンカーの大きさはものすごい威圧感だし。

絶対に一人では乗れない乗り物だと思いました。

できればベテランの人のクルーとして乗せてもらって経験を積むことが理想なのでしょう。しかし、しばらくは、生半可クルーで荒波に揉まれるしかないようです。

そして、東京湾。たかが湾やんけ、と馬鹿にしてごめん。

最後の一時間は、マリーナのある湾に戻り波に揺られてえさもつけずに釣り糸をたらして呆然としていました。

「魚、つれないね〜」
「魚群探知機は魚魚って言ってるのにね〜」
「えさ、つけてないしね〜」

(東京湾の)荒波にもまれても、生半可操縦士は生半可なままです。