小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

椅子

ずいぶん前にそのころ住んでいた町のメインストリートからゆるい弧を描きながら降りてゆく坂道の途中にあった骨董屋さんで古いニューイングランドチェアーと呼ばれる椅子を見かけて何気なく座ってみた。そうしたら200年もわたしを待っていたかのような座り心地だった。分不相応に高かったのだけれど思い切って買った。石の家に一人で住んでいた2年間は薪ストーブの前において、寒い夜はこの椅子に座って足を暖めながらストレートのウィスキーを飲んだりしていた。

座り心地のいい椅子というのは人生においていかに大切なのかを心から感じた石の家の二年間。この椅子とゆり椅子がなかったらわたしは回復できなかったのでは、と大袈裟に考えてしまうほど。

今はこの椅子は台所に置いてあって食事のときにすわっている。

台所はありがちな集合住宅の間取りで中央部分に位置しているので窓がない。その暗い台所に日が差し込むのは冬至のころだけ。

風邪を引いて鼻づまりでぼうっとした頭で藤沢周平の本を読んでいたら台所に日が差し込んでいた。その光の中に椅子があった。なんとなく写真を撮ってみたんだけれど、思ったように撮れなかった。何枚も何枚も、絞りとシャッタースピードの組み合わせを変えて撮ったんだけれど、暗闇の中から光に照らされた椅子の一部分が浮き出てくるようなイメージどおりの写真は撮れなかった。引き伸ばし機にかけるときにマスキングをすれば…と考えながら、久しぶりにデジタルカメラに少しイラついた。自分の腕の悪さは棚に上げて。