小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

無意味なこと

野菜の下ごしらえを暑い台所でしながら、何となく中島みゆきの「悪女」を歌っていた。

ふと、

マリコの部屋に電話をかけて」

とか、

「受話器を外したままね、話し中」

とか、

「ホテルのロビーもいつまでいられるわけもなし」

なんかは、今のスマホ世代にわかるのかな、と思った。

昔の恋は連絡をすることがそもそも難しかった。電話はプライバシーの全くない通信手段だった。間違い電話のふりをしてかけて、お目当ての人が出るのがすごく得難いことだった。メッセージは駅の黒板に書いて届くことを願った。写真だって、フィルムカメラで撮ってそれを現像するのもお金がかかってなかなか手が出ないメディアだった。たった一枚の写真をずっと大切に持ち続けていたりした。やっと届いた手紙を親の手から奪い取って、便箋の折れ目がくたくたになるまで何度も何度も取り出した。

なんだろう。なんとなく情緒があった。

しかし、そういう経験をした世代が、今のスマホ世代の恋愛を見て、「情緒がない」ということは、意味がないな。

猿に「木の上の生活は情緒があるけど、なんだい、二足歩行なんて」といわれても「バカじゃねーの?」って感じるみたいなものだろう。

今のスマホ世代は与えられたテクノロジーの中で、自分たちにとっての精一杯の恋をしているんだろう。

恋をしろ。身を焦がせ。

そんな風に、若い人たちを見ていておばさんは思うわけです。