小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

沼地にたたずむ

友人は素敵な仕事をしている。やりがいもあり、さまざまな人からほめられうらやまれ、名声を得る。友人自身も素敵な知性あふれる人。仕事が楽しい、今年の夏は海辺の家でひとつの仕事にずっと取り組んでいた、昨日はカフェでお茶をしながらお客様とフランス語で冗談を言ってパリに戻ったかと錯覚しちゃった・・・。

とってもうらやましい。彼女がしているような仕事を一時期志したこともあるし、同じようなジャンルの仕事でかなり成功したこともある。ただ、自分の才能が枯渇してしまって、その仕事を続けることは自分を切り売りしていって売るものが無くなったら贋作を作り続けることになる、と気がついてやめた。

その後、今の仕事を志し、無事に就職をして毎日毎日やりがいを感じている。給料は安いけど。

でも。

どんなにがんばってもがんばっても、業界はマスコミからは誤解まみれ偏見まみれの批判を受け、人からもだまされうそを吐かれ利用されそうになり。仕事の内容を聞かれて話すと、やっぱり誤解と偏見と。あからさまに嫌な顔をされることも。

友人の仕事を高地に立ち広がる美しい景色を見つめその景色を表現するものだとすると、わたしの仕事は沼地に立ち泥の中を探り続ける仕事だなと思う。じめじめとした泥が靴の中に入り込み、ぎゅっぽぎゅっぽと音を立て、わけのわからない虫や何かの残滓が足の指の間にたまる。沼地は霧に閉ざされて岸も見えない。

それでも、時折、霧が晴れ、沼地を囲む低地が見える。湿っていて素敵な場所ではないけれど、少なくとも沼地ではない。そこでは家を建てることだってできるだろう。幾人かその低地にたどり着き、こちらを振り向く。そのときの笑顔。

やっぱり、この仕事を志してよかったかな。

たぶん、靴を脱ぎ捨てて裸足で沼地に降り立つ勇気が必要なんだろう。その覚悟ができれば、沼地の泥の中に埋もれている蓮根を見つけられるかもしれない。そして、その蓮根に蓮の花が咲く日を夢見ている。