小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

諸連絡

おかめ、20歳になりました。獣医の健康診断では、20歳にしては素晴らしい数値を維持。緩やかに終わりに向けて生きてます。

わたしは相変わらず、小人閑居して不全をなしています。世の中に害もなさず、貢献もせず。でも、出力がここしばらく70%を超えていたら、様々な体調の低下が起きてしまい。来年度は出力50%生活に戻りたいのですが、どうもさまざまなしがらみでそうも行きそうにない感じがしみじみしています。

そんな中でも、へ―そうだったんだ!知らなかった!と心から言い続けることができる生活がありがたい。きちんと学び続けること、お手軽な知識に騙されないこと。考え続けることを止めないようにしたいものです。

Kとももうすぐであって10年。

いまではすっかり安定してダルダルな仲良し二人です。最近、LINEの使用を始めて、お互いに変なスタンプを送りながら、なるほどLINEってコミュニケーションツールとして手抜きが上手にできるシステムになっていて、こりゃ、ラクチンになるなー、と思っています。

しかし、そのLINEのラクチンさを感じつつも、思い出すのはあのころのブログ。あのころ、もしKとわたしのコミュニケーション手段がLINEだったら、きっといろいろと話さないまま適当にしてしまって、信頼をすることに難しさを感じていたかもしれない。

ブログというちょっと面倒くさいけれど一般に公開された文章を書く媒体があったことはとても大きかったと思う。メールでもない、チャットでもない。路上での罵りあいでもない。自分を見つめ表現を妥協しない静かないい場所だったと思う。

そして、そういう文章に対して、たくさんの真剣な反応があった。

ここまでこれたのは決して自分たちの力だけではなかった。たぶん、あのころ、ブログと言う媒体があり、それを中心としてできていたコミュニティーがあり、それらを抜きにしては考えられないと思う。あんなに真剣に何かに向き合って、それにあそこまで真剣に様々な言葉をもらえていたことが、ありがたくてしょうがない。

本日のメインテーマは、あのころのみんなにありがとうです。

ほんとに、ありがとう。それぞれの人生で幸を見つけていますように。いま、再びであってもお互いがお互いだとは分からないほど、お互い遠くに離れ、わたしに今できることは幸せを祈るという何の効力もないことのみだけど、確かに、わたしたちはかつて友人でした。

…と、ニーチェなんぞ。