小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

怒涛の11月が去った。

相変わらず逆光の写真が好きなわたしです。おかめももうすぐ14歳。わたしが20代半ばだったころから一緒にいるんだと最近しみじみと考えてしまいました。わたしがおかめを見て年を取ったと感慨深いように、おかめも「こいつは年を喰ったなあ」と考えているのかもしれません。いや、もしかしたら「この自動給餌機は落ち着かぬ奴だ」くらいにしか思っていないのかも。

それはともかく、今日から12月。怒涛の11月がやっと終わりました。風邪も引かず、体調も崩さず、すべての試験やら面接やらをこなせてほっとしています。


去年の10月に日本に引っ越してきて、はじめの三ヶ月は本当になにもしていませんでした。

Kに聞いたことがあります。

「一生このままぶらぶらしててもいいかなあ。養ってくれる?」
「いいよ。働いている間はeiに家でじっとしていてほしいから」
「貴様はどこの時代の産物じゃ」
「まあ、それはともかく。そのうちじっとしていられなくなるでしょ」

このときのKの予言は正しかった。今年の2月からトレーニングを始めて6月にある資格を取ってそれ関連のあれこれを始めました。そして7月の頭にKとのけんかをきっかけに、一生稼げる資格を取ろうと思って適当にググって探した国家資格の試験を受けることにしました*1。一次試験まで二ヶ月もないので夏のあいだは指がはれるくらいタイプをしたり勉強をしたりしていました。

でも、その資格だけでは心もとないので*2、別の国家資格をふたつほど取ることでいくつかのキャリア・パスをデザインしようと考えました。そのうちのひとつは独学では無理で通信教育はわたしの性格上絶対に失敗するので、専門学校に通うことにしました。そして、学費稼ぎのバイトとしてちょうどいい感じの在宅パートがあったのでそれにも応募をしました。

そうしたら、8月の国家試験の一次筆記試験に合格していたので、その二次実技試験が11月にあり、専門学校のAO入試も11月(面接二回に作文ふたつ)、一級小型船舶の実技講習と試験も11月、在宅パートの二次筆記試験と面接(及び三次筆記試験)も11月。乳がんの半年おきの定期健診も11月にあるし。

大変に幸運なことに、一級小型船舶操縦士は合格、AO入試はまだ合格はでていませんが願書提出許可はもらえたし、在宅パートも採用してもらえたし、乳がんもたぶんオールクリアー。国家試験の二次試験は合格発表は2月なんだけど、これは人事を尽くしたので天命を待つのみ。

そんな11月の最後に、面白そうな研究所での3月までのパートの仕事が見つかったのでとりあえず応募をしてみるというおまけまでついてきました。

Kに言わせれば、わたしは落ち着きのない人で常になにかごそごそしているらしいです。本人はぼうっとしてネットサーフィンをしてるか猫と遊んでるか料理をしてるか…くらいしか意識をしていないんだけど。でも、振り返れば、かなり忙しい一年を送ってきたんだなあ。Kともイギリス法に乗っ取って10月に正式に婚約をしたし。

この11月を振り返って思うのは、わたしはようやく元夫や母親の呪縛から逃れられたなあ、ってことです。お前は駄目だ、一人では何もできない、何の能力もない、英語もできない、頭も悪い、人から好かれない、などなどいわれてきたけど、どうよ。難関(?)国家試験には2ヶ月の勉強で一次試験に合格して、仕事だって見つけたし、専門学校にだって入れたし。ようやくあの人たちに反論する際に突きつける有効な証拠を手に入れたというか、自分に自信が持てるようになりました。

それ以上にこの11月にわたしが成し遂げた偉業があります。出かける回数が増え駅まで何度も歩くのが嫌になったわたしはついに日本で自転車に乗れるようになったのです。日本の道の狭さと車の多さが怖かったのですが、自転車で公道を走れるようになりました。これがなんといっても11月の一番の成果だと思っています。

*1:そんな資格が存在していたことすらそのときまで知らなかった。

*2:と、この段階でその資格を完全に取ったつもりでいたあたり、相変わらずの取らぬ狸。