小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

休みの日の午後

今日は休みの日なので部屋でごろごろとしながら『ねじまき鳥クロニクル』を読み返していた。

わたしが休みで家にいると、猫はつかず離れずという感じでそばにいる。前足がわたしの足の指に触れるか触れないかくらいのところにたたずんでいたり、わたしが寝転んで本を読んでいると肩のところにお尻を引っ付けるようにして丸くなっていたり。あるいは枕もわたしの一部であると認識しているのか、枕の上にお尻をのせてぐるぐると低くのどを鳴らしながらやがて眠り込んでしまう。

そうやって無防備に寝ているところを見ていると、この猫とももう14年以上一緒に過ごしているんだな…と改めて感じる。その間に住んでいる家は4つ変わり、国も三つ変わり言葉も三回変わった。パートナーも変わった。一緒にいたほかの二匹の猫はいなくなった。わたしも猫も年をとった。でも、相変わらず一緒にいて、たまにけんかをしたり叱ったり叱られたりしている。あと何年この猫と一緒に過ごすことができるのだろう。などと、感傷的になってしまう。こんなに無防備で寝ていて、わたしが自分に悪をなさないと信じきっている様子を見るにつけ、わたしはそんなに美しくもやさしくもないと泣きたくなってしまう。

きっと、少し疲れているんだ、と思う。仕事上のクライアントとのセッションで自分が削られないように自分が受けてきたありとあらゆるトレーニングや知識、論理的構成を使っていても、ひそかに感じる未来の暗さはひたひたとわたしを侵食していく。そんな気分を助長する『ねじまき鳥クロニクル』。

曇った暗い午後。ねじまき鳥の声。そして、ちゅぱちゅぱという音。

ちゅぱちゅぱと、何かおいしいものを一生懸命に食べている音。

やっぱり猫はかわいいし、わたしの猫は一番かわいい。

夢の中ではなく現実でなんか旨いものでも食べさせてあげよう。チキンのレバーなんてどうだろう。

でも、今日は疲れているのでまた明日。