小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

おかゆ、おじや、雑炊

運動会の開催を知らせる合図の花火があちらこちらで早朝から炸裂し、すわ仮想敵国襲来か、という勢いで目が覚めてしまった。Kはまだ寝ているので、一人でお湯を沸かして紅茶を飲む。

震災後、愛飲していた低音殺菌の低脂肪乳がずいぶん長く製造されていなかったけれど、ようやく10月より製造が再開されている。その牛乳を沸騰させないように温めて飲む紅茶のおいしいこと。紅茶は茶葉ではなく、牛乳によって味が決まるんじゃないか。脂肪分の多い牛乳やコーヒーフレッシュではミルクティーとはならない、と国会議員になれるくらいの勢いで主張したい。

そんなことを考えつつ、紅茶を二杯飲み、朝ごはんのおかゆを作ることにした。

いつもは白かゆにしているのだけれど、時間もあるし、出汁を取ってそれでおかゆにしよう。

…と考えて、出汁で米を煮たらおじやじゃね?と疑問が出てきた。

三杯目の紅茶を飲みつつ、おじやとおかゆの違いを考えていた。いやいや、おじやとおかゆが違うなら、雑炊も違うだろ…。中島みゆきが冬の夜に母ちゃんが作ってくれるのがおじや、夏の夜に冷房の効いた部屋で食べる愛人が作ってくれるのが雑炊、といっていたなあ。1980年代の発言だから、冷房が贅沢品だったころだなあ。

わたしにとっての違いはなんだろう。

おかゆは生米を水で煮る。これは間違いない。

おじやは出汁で生米を煮て、仕上げに卵を入れる。具は三つ葉かネギくらいしか入れない。*1

雑炊は、水で洗ってぬめりを取った冷ご飯を出汁でさらっと煮て、野菜など具をたくさん入れて卵で閉じる。

こんな感じだろうか。されば、今作っている出汁で生米を煮て梅干と紫蘇の実漬けで食べる予定のこの料理、なんと呼ぶべきなのか。

なんと呼ぼうがおいしいのだからいいのだ。名前なんてどうせ便利がいいからつけてるだけで、その便利さに引きずられて定義に従ってしかものを見ることができなくなるなんてばかげている。定義から外れるからにせものだとか、おかしいとか言い出してはいかん。そういった偏狭さが世の中の多くの不幸を生むのだ。

しかし、ミルクティーの牛乳に関しては偏狭だと非難されても絶対に譲れない。そういう譲れない部分があることもまたよし。

そんなことを考えつつ、Kを起こして仲良く朝ごはんを食べたのでした。

*1:10月18日追記:もしかして、おじやは出汁で温かいご飯か洗わない冷ご飯を煮るんだったか…。卵でとじるのは必須で具も入れないのは確かだが。