小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

テキスト庵が閉鎖されました。

テキスト庵に登録をしたのはいつなのかは覚えていない。2年前?3年前?

ネット上にあふれる改行が多くセンテンスやパラグラフのちがいがはっきりしない文章を見ながら、装飾としての改行ではなく、思考のリズムとしてのセンテンスとパラグラフの違いを大切にした文章を書きたいと思っていた。そのときに出会ったのがテキスト庵だった。

魅力的な日記が多く登録されていて、そこに自分のブログを登録することに少し気後れを感じた。でも、同時にわたしだって文章を書くということに覚悟があるのだ、と気負いも持っていた。そして、すでにそこにある程度のコミュニティーが形成されているのを見て、フリンジからそのコミュニティーを見ながらゆるく参加をしよう、と思ったりもしていた。

掲示板にも書き込んだことはほとんどないし、ほかの書き手の方の日記も読むばかりであまりコメントを残したこともない。そういう意味では、わたしはテキスト庵書き手コミュニティーを華やかなものとして遠くから憧れをささげていた…といってもいいのかもしれない。地味でブスだった中学生のとき、教室の隅からスターグループを見ていたように。

それでも、日記を書くたびに手書きで報告をするレトロな手続きは大好きだったし、そうすることで何人かの方が訪れてくださってコメントをいただくこともあり、それは書き手として大きな喜びだった。

今回、少し余所見をしている間にテキスト庵が解散となってしまった。そこで起きた事件はやはりわたしから遠いところで起きたものだという感じが抜けない。ただ、その事件の渦中でもがかれた方たちのことを思うと、早く心穏やかなときを迎ていただきたいな、と感じる。そして、また魅力的な文章を読ませていただきたいと心から思う。

今、テキスト庵がなくなってしまったんだな、と空っぽのURLを見ると、知らないうちにもやい綱を切られてしまって夜のうちに漂流してしまったけれどGPSは動いているので自分の位置はしっかりつかめている、というような、あいまいな戸惑いを感じている。当分はすぱりと鋭利なナイフで切られたもやい綱の切り口を見ながら呆然とすごしていたい。それがわたしのテキスト庵へのオビチュアリーである。



昨日、テキスト餡へのお誘いをいただき、新しいもやい綱を用意しているところ。新しいもやい綱をもやい結びにするかクリート結びにするかを考えつつ、もうしばらくは古いもやい綱の鋭利な切り口をぼんやりと眺めていたい、とも考えています。

最後になりましたが、テキスト庵の運営者の方に心よりお礼を申し上げます。また、テキスト餡の運営者の方にもこれからよろしくお願いを申し上げたいと思います。