小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

ステンレスのマグカップ

今日は久しぶりに町に出てみた。特に目的はないのでなんとなく大きなリサイクルセンターへ行ってみた。

ブラブラとセンターの中を歩きながら、ガラス食器やグラス、おさら、こまごました飾りもの、なんかを眺める。わたしはこうやってリサイクルセンターや古道具屋で古いごちゃごちゃを眺めるのが好きだ。古いナイフやフォークは柄のところに細かい細工がしてあったりして美しいものがたまにある。古いティーカップの投げやりな感じの手書きの模様も見ていて飽きない。大量生産の古いにごったガラスのコップも、よく使い込まれて模様がはげているお皿も、見ていて楽しい。

新しい食器を見るのも楽しいけれど、それはその食器を使って大切な人にどんな料理を出そうかと考えたりという未来の自分へのわくわく感のような気がする。

それと違って、古い食器や道具を見ると一体どんな人がこれを使っていたのだろうと考えてしまう。祖母の家の古いちょっとかび臭い台所の椅子に座って床に届かない足をぶらぶらさせながら、山盛りの焼きなすを見て肉が食べたいと切実に願った幼い休みの日を思い出すような。勝手にそこにドラマを作って懐かしくなる自己満足な生ぬるい感傷を楽しんでいるのだろう。

そんな古い埃っぽい陳列物の中にちょっと異質なマグカップをふたつ見つけた。ステンレスの二重になっているマグカップ。ステンレスの表面はすっかり曇っていてどんよりとしている。それを見たとき、Kがステンレスのマグカップを使っていたのを思い出した。初めてKの仕事場に遊びにいったとき、それでお茶を入れてくれた。棚のマグカップを手にとって、そのころの不安定な二人の関係を思い出してちょっとだけ感傷に浸ってみた。

ふたつでも400円もしないのでそれを買ってきた。そして金属磨きで磨いてみたら新品のようにぴかぴかになった。


これをもって二人でピクニックに行きたいなあ、とちょっとわくわく。Kに送ってあげよう。

感傷にも浸れたし、わくわく感も味わえたし、新品を買うよりずっと安かったし、今日の買い物はとってもお徳だったな。