小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

同性婚をいたしました。


2月の半ばにKと同性婚をいたしました。宣誓式には友人に立ち会ってもらい、愉快な午後を過ごしました。



親しくさせていただいている方にブログでお知らせするという無礼を避けるためにメールなどでお知らせさせていただいだきました。もし、お知らせが届いていないようでしたら本当に申し訳ありません。

日本ではまだ認められていませんが、早く認められるようになるといいなあと思っています。ロマンティックな意味ではなく、年金や相続、介護、税金、子連れで再婚したときや人工授精で子供を産んだときの親権、個人情報について、など異性カップルに当たり前のように認められている権利が認められるといいなあと思うからです。

とりあえずは、認められていないものをごねても仕方がないので、任意後見人制度など既存のシステムを利用していきたいと思っています。…手続きがめんどくさいのですが(笑)。

上の写真は携帯電話のカメラで暗いところで撮ったのでどうしようもなくなっていたので思い切ってとことん加工してみました。美人に見えていたらおなぐさみ。

ベールとベッドドレスは自作です。


以下、結婚をするにあたってのちょっとした決意など。



もうそろそろ引退が近づいている年齢の配偶者を捨てて、自分よりも10歳近く若い魅力的な女性に走った人がいたら、その人はきっとフルボッコにされるんじゃないかと思う。年老いた配偶者は女性、若い女に走ったのは男性、という性別であった場合には。

しかし、わたしはたまたま女性だったし、そこにはセクシュアリティーの実現の問題なんかも絡んでいて、さらに深刻なわたしに対するモラルハラスメントも議題にのっていた。だから、わたしを責める人はそんなにたくさんいなかった(まあ、友人達はやさしいので面と向かっては言わなかっただけかもしれない)。

それでも、わたしが元の夫を激しく傷つけたであろうことは想像に難くないし、息子がその一番の被害者であったことも忘れてはいない。

最近、ちょっとした手違いを善意の第三者が犯してしまったことで、元の夫がわたしがもたらしたと彼が思い込んでいる自分の不幸さにいまだに居住していて*1、その毒をだれかれかまわずに撒き散らしているのを目の当たりにした。その際に彼が口にした言葉を伝え聞いたのだけれど、それは余りにも愚かで笑ってしまうしかないにもかかわらず、伝えてくれた人もわたしもぐったりと椅子に沈むしかないくらいの攻撃力があった。

そのとき、立ち上がる気力もなくしながら、幸せになろう、と決心しました。変な話だけれども、わたしは元の夫がこんな風に不幸になることは知っていた*2。でも、わたしは彼の脆弱なプライドを自分が不幸になってまでも守りたくはなかった。わたしは幸せになりたかった。それは、わたしの権利や義務という観点からではなく、自分の心の底からの思い。

今回、Kと同性婚をするにあたって、彼女と幸せになろうと思いを新たにした。

そして、できれば、息子の幸せのために元の夫にもわたしとはまったく関係のない場所で幸せになって欲しいもんだ、とも思う。まあ、余計なお世話だろうが。

*1:すみません、変な翻訳調の文で。日本語でのいい表現がどうしても思いつきません。He is still dwelling on his unhappiness which, he believes, was imposed on him by me.

*2:明らかな弱者や格下の人間を作ることで自分のプライドを保っていたわけで、その「弱者」が実は弱者ではなく自分に依存をしていなかったことに気がついたあとの裸の王様の不幸。