まがり角の向こうは見えないけれど
あの谷の向う側にたしかに美しい花が咲いてゐると信じ得た人だけが、何の躊躇もなく藤蔓にすがつて向う側に渡つて行きます。
太宰治「御伽草子」
今まで成してきたことの結果は「あの谷の向こう側の美しい花」の残骸なんだろうな。なにかに利用するものではなく、自分がそこに美しい花があると信じて谷を越えていき、その花を摘んで未練がましく押し花にしたようなものだろうな。年をとったときに、ああそうねかつてわたしは峻険な谷をつる草につかまって越えていって…と、毎日繰り返す幸せな呆けてしまう日々のために。…なんていうと悲観しすぎかな。
それでも、その向こうに花は咲き続けているんだから。
人生には試みなんて、存在しないんだ。やつてみるのは、やつたのと同じだ。
ま、引き返せないんだからこのまま行きますよ。
なんとなく太宰治の御伽草子を久しぶりに読んだんだけど、やっぱり好きだわ〜。