空疎なのにもっともらしい言い方
先日、大阪に単発の仕事で出かけたとき。わたしは一人で夕飯を食べていた。一緒に仕事をしていた友人から仕事のあとで一緒にコンサートに行こうと誘われていたのだけど、疲れすぎていたので断ってひとりでぼけっとしていた。
カウンター席に座っていて、となりには二人連れのお客さん。60歳くらいの男性がどこかの大学のえらいさんでその人をその日わたしが仕事をしていた場所のスタッフが接待しているようだった。
偉そうなおっさんはスタッフの若い女性に向かって
「君のところのギャラリーねー、あれはいい空間だよ。うん」
などと本当に偉そうに話していた。わたしならたぶんいろいろと言い返していると思うけれど、彼女はできた人らしく
「ありがとうございます」
「いえ、先生のほうがすばらしいです」
などとそつなく受け答えしていた。
そのうち、その大先生は
「しかしねー、ギャラリーの表の庭もギャラリーのスペースそのものもすばらしいのに、分断されているのが難点だねえ。庭と内部をなんとかすれば、すばらしい何かになると思うんだけどねえ」<以下、毒吐きののしり。苦情受け付けません>
ボケが。とわたしはついつい口の中で言ってしまった。なんとかするってなんや、ちゃんといって見さらせ。すばらしいなにかってなにや。きちんと提案せえや。文句だけつけやがって。なんも言えんくせに偉そうな態度取るな、このどあほ。
日本に帰ってきて、一番ムカつくのがこういう「偉い先生」達である。
例えば、某脳科学者という触れ込みの茂木氏。たまたま見ていたTV(あいのり、だ。スマスマのあとに見てるんだ。笑)で
「ああ、この状態ではセロトニンやドーパミンがでていますね〜」
ボケ〜。セロトニンもドーパミンも常に脳内に出ているわい。恋をしたときだけでるわけじゃない。だいたい、脳というのはわからない部分が多すぎるのに、なに、その断定しまくり。一体どこからレフェリーされたジャーナルペーパー発表してるわけ? 似非科学者め。悔しければ研究してみろ。こういう人が一般受けするように宣伝されてる本を書いて権威みたいに言われるから、いつまでたっても科学が誤解されたりするんだよ。まじめな科学者を馬鹿にするなよ、ほんと。
それから、詳しくは書かないけど、日本史関係の番組なんかもそう。聖徳太子の肖像画と木像がぜんぜん違うってね〜。自分の写真でも年齢や気候、そのときの気分、光の具合、カメラの性能、なんかによってぜんぜん違う自分になるでしょーが。ましてや芸術的表現だよ? 作者によって違う表現をされるのは当たり前でしょう。それを、「こんなに違う聖徳太子像が…!」とかバックグラウンドの効果音入りでナレーションして聖徳太子がいなかったことの証拠だって…あほちゃう。
たかがTV番組たかがお酒の席で偉そうな勘違い親父が御託を並べただけかもしれない。でも、それを聞いたときに、面と向かってはなんにも言えなくても、心の中では
「ケ」
といえる自分でありたい。目標は常に小さくハードルは低く。
ちなみに、冒頭のえらそう大先生の接待をわたしがしていたら
「じゃあ、先生はどうすればよいとお考えですか。何か聞かせていただけますでしょうか」
と質問をしていたと思います。…ま、こんなだから干されるんだな。笑。