小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

料理をしない理由

 

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コロナ禍で、仕事が絶対リモートにできないわたしと、部分的にリモートが可能なKの組み合わせで、食事の支度がどうしてもKに偏ってしまっている。申し訳ないなあ、と思いつつ、「今日は鮭となめこの味噌汁だよ」とか言いつつ大根を下ろしてくれる人がいるという楽ちんさに、どんどん怠惰になっていく。

食事を作っている人が当たり前だが食材の管理もすることになる。そうすると、いざ、自分が休みの日に料理をしようと思っても、まったくイマジネーションが働かなくなっていてびっくりした。自分が料理をしていると、なんとなく冷蔵庫の中のものを把握していて、なんとなくあれこれ作れる。しかし、Kとわたしでは作るものの傾向も違うし、そうすると冷蔵庫の中身も変わってしまっている。わりと偏った材料で偏った料理を作ってたんだなあ。で、自分が休みの日に料理をするとなるとあれこれ買い込んで「えー、それもうあったのに!」と怒られたり(Kはあんまり怒らないでぷーっていうくらいだけど)、馬鹿みたいに手の込んだ料理を作って台所を占領したり、イマジネーションがわかなくて料理をしないで「出前でいいじゃん!」ってなったり。

ああ、これって、あれだ。日本の多くのおじさんたちと一緒だ。よくSNSなんかで文句を言われている家事(料理)をしない人々。家事(調理)の能力があるかないかも問題だけれど、冷蔵庫の食材の把握をしていないと料理ってできない。能力以前の問題。そして、一旦、怠惰になってしまうとそこから元の勤勉な状態に戻るのは難しい。独身の時は料理でもなんでもしてたのに結婚したとたん、というのはよく聞く話だけど、こういうメカニズムだったんだなあ。

コロナのおかげで意外な気付きがあった。そして、Kは料理がめっちゃ上手になった。

思い出をたどる

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人生の節目でもあることだし、今までお世話になりっぱなしの神様に報告に行くことにした。絵馬を奉納して、ありがとうございました、これからも頑張るので応援ヨロ。

Kが取ってくれたホテルへの行き方は大体わかっていたが、どうも見覚えがある。路地を抜けてホテルの前について分かった。映画館だったところだ。2階はスポーツ用品店で、よくシューズを買いに行ったりしていた。お好み焼き屋の暖簾はあの時使っていたものではないか。少し行ったところにある半地下のラーメン屋もあった。

商店街を歩いていくと、直角に別の商店街と交差するところで急に上り坂になる。なくなってしまった店もあり、まだあった店もあり。懐かしい喫茶店でウィスキー入り紅茶を飲む。なくなっていると思っていたバーがまだあり、マスターも健在。毎日ランニングをしていた場所やバイトをしていた店。遅刻と戦ったチャペル。偶然入ることができた建物で、階段の形を見てよく出入りしていた研究所跡だとわかった。いつも昇っていた高い石段を上ると息が上がった。洋館のティールームでスコーンを食べて、Kがジャムで手をべたべたにしていた。

思い出に思い出が重なっていくのって、人生の地層かな。

 

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人込みではマスクをして、公共交通機関の中では手袋をして、要所要所でアルコール綿で手指消毒をして過ごしました。

 

 

 

 

日向の匂い

猫がいない。2階の窓が開いていた。

「だって、ベランダには高い壁があるから大丈夫でしょ? 家の中のどこかにいるんじゃないの?」とKは言うが、猫にとって1メートルそこそこの壁なんてお茶の子さいさいだよ。

Kは急いで探しに行こうと焦っていた。いやいや、大丈夫だよ、探しになんて行く必要はないよ。2階の窓から外を見ながら、大きな声で猫の名前を呼んだ。

2階の屋根の上では子猫が親猫にいたずらをして、親猫はしっぽや猫パンチで軽くあしらっていた。お向かいの家の庭には柿の木があり、子供たちとたくさんの猫が柿を取ろうと枝を投げたり、枝に飛びついたりしている。

その向こうの草むらが一瞬揺れたと思ったら、そこから猫が飛び出してきてまっしぐらに家に向かってきた。そのままの勢いで家の壁に飛びついてきた。

「あ、落ちるよ」とKは壁の隙間から手を伸ばして猫を受け止めようとした。猫は急に出てきた手に驚いて壁を蹴って体の向きを180度変えた。両手両足を開き、しっぽも伸ばし、空中浮揚をしてふわりと向きを変えた。一瞬空中で静止する優雅な動きなのに、伸ばされた手足の指は大きく広がっていて猫の必死さが見えて、Kと二人で大笑いした。そんな二人を猫は柿の木の陰からじっと見ている。ああ、ごめんごめん、と猫の名前を再度呼ぶ。

猫が走ってくる。壁に飛びつきスルスルと壁を上り。そして壁の内側に爪をかけ。壁の内側の一部がはがれていたが、いつも同じ場所に爪をかけている様子。最後は力業で体を持ち上げて壁の上に体を持ち上げ、わたしの足元に飛び降りてきた。手を伸ばしてくるのでだっこをした。ほっそりと長い体、長い尻尾、弾力のある耳、手のひらに収まる丸い小さな頭。つやつやの毛は撫でるとつるつるとしていた。体はぽかぽかに暖かい。遠くから必死で走ってきただけではなく、いい匂いもしている。乾いた草、日差しの匂い。どこに行ってたのかな。

「たくさん遊んだんだよ」と猫が言った。

食洗器を買った

数か月前、食洗器をついに買った。

たしか、数年前に小型食洗器が発売されたときにKに提案をしたのだが、その時にKは自分が洗うから食洗器を買うなんてもったいないよ、と反対をした。

しかし、Kも仕事がそれなりに忙しくなり、わたしはそれなりに閑居しているものの洗い物は嫌いであり。夜ご飯を食べた後に食器を洗うのは苦痛だし、翌朝に台所のシンクに汚れ物があるとそれなりにストレスになるし。朝一で食器を洗うのは、Kが自分ですると言い出したとはいえ、理想とは言えない状態。で、わたしが洗うという選択肢はないんだな。

そこで、再度、Kに食洗器を提案。

最近のものは小さくなっており二人用食洗器は脱衣所の空きスペースとなっている棚の上における。そこなら排水も給水も問題ない。音は結構するが脱衣所においてしまえば気にならない。気になる水蒸気や湿気は脱衣所には24時間稼働の換気扇があるので問題ない。最近のものは性能がよくなって洗い残しなんかもないらしい。そして、値段も安い。いろいろレビューも見てみたけど、ストレス軽減にもなりそうだし、QOLも向上しそう。なによりもKの負担が減ると思う。とにかく一度実店舗に見に行ってみよう、そのついでにステーキも食べに行こう。

そして、気が付いた。うちの脱衣所が有能すぎる。

実店舗に見に行き、大きさや形など一番よさそうなシリーズに決定。機能は乾燥は必要ないというKに対して、まああったほうがいろいろといいんじゃないか、というふわっとしたわたし。そして、ふわっとした意見のなんとも言えない説得力のなさにKがなぜか折れて、乾燥機能付きの小型食洗器を買った。

給水につなぐときのアダプターや排水チューブの設置などいろいろとあったけれど、まあ、それは別の話。

食洗器が我々の生活を如何に変えたか、ということだ。

それはもう、劇的に。

朝に台所が汚くない。いつでも台所がきれい。わたしが次々とコップを使ってもKがイライラしない。突っ込むだけで食器がきれいになる。わたしが洗うよりずっと綺麗。わたしはよりたくさんの食器をうまく食洗器に詰め込むことが趣味になった。

脱衣所まで食器をもって往復するのはちょっと面倒くさいけど。そのめんどくささを補って余りあるQOLの向上が我が家にもたらされた。

素晴らしいね、食洗器。

ちなみに、うちの機種は乾燥コースでも、乾燥なしコースでも、終了後の渇き具合はほぼ同じ。

「熱いお湯で洗うんだから、渇いちゃうから乾燥機能はいらないって言ったよね~」とKは意地悪。いいじゃん、乾燥機能が必要になる明日がいつ来るかわからん。

初夢

猫がいなくなった。

探しても探しても見つからない。

Kはもう少し探そうと言ってくれる。あきらめないでチラシを作ったり、町の人に声をかけたり。猫見ませんでしたか、猫、灰色の猫。しっぽが長くてきれいなんです。でも、目が見えなくて耳も聞こえなくて、年取っているのでふらふらしてるんです。

空のこたつを何度ものぞいて、水を変えて、掃除機もかけて。

その時、外から猫の声が聞こえた。不満があふれ出ている濁った鳴き声は猫の声に間違いない。帰ってきたのか、家路を見つけることができたのか、1週間かけて遠くの蜘蛛の巣の水滴をなめに行っていたのか。早くいかなければ。部屋の中の蔦を払い、あふれた風呂の水を渡り、玄関の鍵を回す手が滑ってしまう。

そうこうしているうちに猫の声は遠ざかる。行ってしまった。行ってしまった。見つけることができなかった。あんなに一生懸命に帰ってきてくれたのに。いなくなった遠くからほの暗い道をぽつりぽつりと辿ってようやくここまで帰ってきてくれたのに。

Kに訴えながら、でも、と思う。でも、きっともうここには帰ってこないんだ。帰ってこれないんだ。それでも一生懸命に近くまで来てくれたに違いない。あれが、あの鳴き声がきっと最後の挨拶だったんだ。22歳で病気だったから、もうきっと死んでしまっている。そうだ、猫は死んだんだ。あのつるつるした灰色の毛皮も、長くて細い尻尾も、煙ったような青い目も、細くてかたいひげも。すべてが失われてしまった。

それでも、来てくれた。最後の最後に声だけでも聴かせてくれた。

ありがとう。

冬の入り口

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頂き物のラフランスとリンゴがあるのでmulled wineを作った。

安い赤ワインにラフランス、リンゴ、オレンジを入れ、バニラビーンズとシナモンとクローブナツメグはすりおろして。きび砂糖、マラドンソルトひとつまみ。スパイスとバニラと果物の香りが部屋に立ち込めると、今年も冬が来たなと思う。

フルーツたっぷりのmulled wineはお酒という感じがしなくて、午後も早いうちから飲んでも違和感がない。でも、やっぱりアルコールなのでほんのり酔っぱらって、いい気分。ガスコンロにかけておくとどんどん煮詰まるので、ヨーグルトメーカーで保温をする。Mulled wineで体の中から温まり、こたつで体の外から温まり。Kは温まりすぎて、殻からはみ出たヤドカリみたいにこたつの外でグデていて。

若いころは暖かくて甘いフルーツ入り赤ワインなんてつまんない、と思っていたけれど。ここしばらく、muled wineの良さがわかってきた。こういうのも大人の味なのかな。

少し前まではこの風景の中の見えないところ(こたつの中)におかめがいたんだな、とも思う。こたつが広くなったよ。

やらなきゃいけないことはたくさんあって、手を付けていないんだけど。まあいいや、って気になっている。冬の入り口の日曜日の午後。

秋雨の

f:id:einohire:20191031204726j:plain ”仕事”で北米に行った。

Kも一緒の仕事。

前から一度したかったことで、今回、あちらに無理を言い、こちらをなだめすかし、頭を絞り、慣れないアプリに文句をたれながら、何とか実現できた。

でも、これも、おかめがいなくなったからだな。

 

仕事はそれなりにうまくいった。でも、道具としての英語がさび付いていて仕事場の床の上をゴロゴロ転がりまわりたいくらいに恥ずかしかった。理解をすることと表現をすることは同じ英語という道具を使っていても違うとは知っていたが、これほどまでに片方がさび付いてしまうとは、ショックだった。また、がんばろ。

秋雨が降る中、美術館のレストランで北極鱒のグリルとフムスを食べた。Kと窓の外を眺めていると、雨と一緒に金色の街路樹の葉っぱが落ちていく。フムスについてきたマルチシードのクラッカーが思いのほかおいしくて、アメリカに来て一番おいしかったものがステーキでもピザでもBBQリブでもなく、このクラッカーだとは、とおかしかった。

さびた高架の上を走る電車も町を歩く人たちも空の大きさも、なにもかも異国。秋雨の中でKの手を握って異国でも一人じゃないことがうれしい。

 

喧嘩もしたんだけどな。